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田上山晶洞ハイキング(2003.5.18)


今年2回目の地学ハイキング。今回は,鉱物採集というより,見学会といった感じです。目的地は,滋賀県大津市の田上山。西日本で有名なペグマタイトの産地です。以前は,はげ山でペグマタイトを見つけることがあったようですが,植林の進んだ今では,ペグマタイトを見つけることは少ないようです。ボクのような素人がふらっと行ったって,何も見つけることができません。でも,今回の見学会は,中沢先生に案内をしていただき,晶洞の見学ができるとか。これは行かないテはありません。

  

JRとバスを乗り継ぎ,アルプス登山口へ。バス停附近には,100人近くの参加者が集まっています。ビックリです。光り物のペグマタイトを見られるというだけあって,予想通りの大賑わいです。このバス停から,林道を歩くこと2時間です。

  

はじめは,舗装の車道です。道の左手には,きれいな川が流れています。その向こうには,岩肌の目立つ山の斜面が続いています。まわりの花を見ると,ツツジしかありません。ちょっとガッカリです。

  
断層 その1 断層 その2
断層 その1
断層 その2

車道の突き当たりからは,林道です。この林道もしばらくは車で上がれますが,すぐに車止めのために歩行者専用となります。その車止めの手前の斜面には,断層が見えています。さすがは,地学のメッカ。見どころは晶洞だけではありません。歩くにつれて,高度が増し,展望がよくなります。八筈ヶ岳方面を見ると,荒々しい岩肌が見え,巨岩も斜面から顔を出しています。湖南アルプスの呼び名にふさわしい景観です。でも,これらの山々の木々が,植樹されたものであることにおどろきを禁じ得ません。

  
断層 その3 残された裸地
断層 その3
残された裸地

瀬田川砂防の歴史
ハイカーの皆さん!いまお立ちになっている,この田上山一帯が,千数百年前にはヒノキ,カシ,シイ,スギなどの大木が生い茂る美しい森林だったと想像できますか?
大和朝廷の発展につれて,近畿各地では,数多くの宮殿の造営や寺院の建立が,盛んに行われるようになり,田上山はその建築用材の供給地となりました。記録に残っているものだけでも,この附近では,信楽町にあった紫香楽宮,紫式部が源氏物語を書いたと伝えられる石山寺,園城寺(三井寺)などが,田上山の木材で建てられました。また瀬田川,宇治川,木津川を利用して切り出した木材を筏に組んで運び遠く奈良の藤原宮造営のために大量の木材が送り出されました。万葉集,正倉院文書による
当時は,樹木を切り出したあとに植樹もせず,木材の搬出方法で“土修羅”といって,山腹を転がし落とす原始的な方法がとられたため,肥えた表土が削りとられ地肌が大いに傷みました。このように田上山は,江戸幕府が「土砂留工」を実施するまでの約千年の間,何の保護もされずに荒れ果ててしまったのです。そればかりか,雨の降るごとに川は土砂を運び下流で堆積し河床が上がり洪水を防ぐために堤防を築きその繰り返しでいわゆる天井川を形成し台風期や梅雨時になると下流に大きな被害を与えて来ました。
明治政府は,この実情にかんがみ,治水工事_先進国であるオランダから技師を招きました。近畿の最も重要な河川である淀川流域は,ヨハネス・デ・レーケ(1873年から1901年まで在職)が担当し調査の結果,「下流の治水は治山にあり」という点に着目し,治水費の半分以上を水源山地の砂防工事にあてて緑の回復に努力を傾けました。以来80年,かずかずの要条件の克服に苦心を重ね,その結果,ごらんのように,しだいに緑をとり戻しつつあります。緑の山は,洪水を防ぐだけではなく,渇水を防ぐためとしても必要なのです。また,われわれ人間が自然に親しむ場であり,動物たちのよき住まいでもあります。自然は,みんなの共有財産です。愛情をもって保護して行きましょう。

林道の途中のビューポイントからは,大津市方面が一望できます。春がすみのためか,白っぽく見えるのが残念です。先ほどの車止めからは,国土交通省の管理道です。ビューポイント附近には,ガレ場が残されており,植樹の実験をしているようです。

  

管理道の突き当たりからは,山道を下ります。急な斜面を下ると,谷道です。薄暗い道ですが,テープがあります。まさか,晶洞へのマーキング?最後の急斜面を登ると,「中沢晶洞」です。あたりは,風化した花崗岩が粗い砂になっています。小さな谷ですが,砂防のための堰があります。中沢先生がこの晶洞を見つけたころは,まだまだ植樹が進んでいなくて,このあたりはザクザクの砂地だったとか。その中沢先生が大晶洞を発見した時の感動を次のように記されています。

  
中沢晶洞 中沢晶洞のペグマタイト その1
中沢晶洞
中沢晶洞のペグマタイト その1

昭和49年3月,初春の田上山,うぐいすの声を聞きながら国見岳近くの尾根や谷をわたり歩く。もう午後3時,今日はたいした収穫もない。ちょうどこの近くに前に掘ったペグマタイトがある。そこからは結晶は良くなかったが,淡い青色のトパーズが少し出たし,希元素鉱物もう少しあった。そこでもちょっとよって今日は帰ろう。
タガネとゲンノウで掘り始める。少し掘るとペグマタイトがぼそぼそになってきた。あ!隙間が開いている。ガマだ!開いた隙間に手が入るようにタガネで丁寧に広げる。中をのぞくと穴の入口には曹長石が見える。奥は暗くて良く見えない。手探りでガマの中を調べる。どうも大きいガマのようだ。大きな結晶が指にさわる。水晶にしては結晶がおかしい。結晶が四角形のようだ。トパーズの庇面か?手でやっとつかめる大きさ,重い,力を込めてぐっとつかみ上げる。ガマから取り出して見たとたん膝が震えて止まらない。20cmはあるだろう。淡い青と酒黄色の混じった庇面のトパーズの巨晶。こんなに大きな結晶は見たことがない。震える手をガマに入れる。ぐっとつかんで取り出すと,両錐の煙水晶,30cmはある。日が西にかたむいて行く。気持はあせるが,とにかくリュックに入るだけ取る。見付からないように穴を埋める。今日は帰ろう。薄暗くなった山道を重いリュックを背負って下る。夢のようである。山を下りると真暗になっていた。家に帰って重いリュックから最初につかんだトパーズを出してみる。重さは6kgある。人生最良の夜である。

          (当時配布の資料より)

  
中沢晶洞のペグマタイト その2 砂地の雲母
中沢晶洞のペグマタイト その2
砂地の雲母

晶洞の前に着き,早速,内部を探検です。思ったよりも広く,人が5〜6人入れます。当然,真っ暗ですが,参加者はライトの準備も万全です。早速,岩肌を観察する人,足元の砂地を掘る人,さらに奥へ奥へと侵入する人。人それぞれ,観察の仕方が違います。もちろん,発見当時のようなきれいな結晶はなく,目の粗い花崗岩や小さな破片があるだけです。鉱物採集という点では,物足りませんが,晶洞の観察ということなら,これほど大きく見事な晶洞は他では見られないでしょう。一見の価値ありです。

「中沢晶洞」は最大巾160cm,高さ70cm(一部140cmの所あり),奥行き650cmの超大形晶洞で,この晶洞を伴うペグマタイトの厚さは,晶洞上部で50〜70cmを越え,晶洞の底部は10〜20cmである。晶洞上部の厚いペグマタイト中には小晶洞と,多量の脈性トパズ,各種の希元素鉱物および少量の錫石,鉄礬石榴石等が見られ,晶洞底部のペグマタイトからは少量の変種ジルコンと,部分的に多量の鉄礬石榴石が確認された。
晶洞内部の鉱物は,カリ長石とトパズが一つのブロックになり,このブロックはそれぞれ50〜100cm離れて5箇所に晶出し,この五箇所のブロックは煙水晶が晶出している。また,晶洞内壁の天井にあたる部分は主に曹長石のアルバイト双晶に被われていて,側壁及び底部は,前述のカリ長石,トパズ,煙水晶等それぞれの晶出している位置によって異なるが,主にチンワルド雲母と曹長石である。電気石は毛状から泥状を呈し,晶洞内の鉱物全般を被うように着生している。

         (当日配布の資料より)

晶洞附近の斜面で,早速,鉱物採集です。いつものようにハンマーを振るって,カンカンと石を叩くのではなく,今回は砂地を掘り起こして探します。まるで,潮干狩りです。参加者のなかには,移植ごてや潮干狩りグッズで探している人もいます。きれいなトパーズをゲットした人もいたようですが,参加賞のトパーズほど見事なものではありません。足元でキラキラ光る雲母だって,参加賞の雲母ほど見事ではありません。今回の参加賞をプレゼントして下さった中沢先生に感謝です。

  
中沢晶洞のトパーズ 中沢晶洞のチンワルド雲母
中沢晶洞のトパーズ
中沢晶洞のチンワルド雲母

今回は,鉱物採集はできませんでしたが,「晶洞」というものを実際に見ることができ,それだけで満足です。しかも,鉱物採集のメッカ田上山を見ることができたし。メデタシ,メデタシです。

  

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